マルチタスクの追求は幸か不幸か?

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「マルチタスク人間」と聞いて、皆さんはどのような印象を抱きますか?

世間的には、「できる人」のイメージがあると思います。

実際、世間も「マルチタスク人材」を求めていますし、マルチタスクができるようになる為のハウツー本も世の中に溢れています。

しかし、世の中がそんな人材を求めているからといって、当の本人は、マルチタスクができるようになって本当に幸せでしょうか?

たしかに、マルチタスクができるようになると、「できる人」認定されて、一定の承認欲求は満たされると思います。

しかし、得られるものより失うものの方が多いような気がします。

マルチタスクを行おうとすると、どうしても色々な事にアンテナを張る必要が出てきます。

常に先のことも見据えながら、仕事に取り組む必要もあります。

その結果、マルチタスクができるようになると、周りからの評価もあがり、さらに色々な仕事を割り当てられるようになります。

一時的には承認欲求が満たされて、嬉しくなりますが、とても忙しくなります。

忙しいという字は、「心を亡くす。」と書きます。

ココロココニアラズ状態になります。

果たして、それは幸せと言えるでしょうか?

そして、もうひとつ。

マルチタスクによってできる内容というのは、実はたかが知れています。

同時に色々な事をしていますが、ひとつひとつをとってみると、決してクオリティが高い訳ではないです。

あくまで、同時に複数のことを処理できる事がマルチタスクです。

例えば、2人分の仕事を難なくこなせるAさんがいます。

そして、1人分の仕事しかできなBさんいがいたとします。

それぞれ、仕事のクオリティは同じだと仮定します。

「Aさんを1人を雇った会社」と「Bさん1人雇った会社」では、おそらくAさんを雇った会社の方が業績は良いでしょう。

しかし、「Bさんを3人雇った会社」は、「Aさん1人を雇った会社」より、数倍早く仕事を片付けます。

つまり、マルチタスクは、数の力にあっけなく負けます

会社側からみれば、1人で2人分の仕事をしてくれるAさんは貴重な存在ですが、残念ながら、ただのコスパの良い存在にすぎません。

そして、もしも、3人分の仕事をこなすことができるCさんが現れれば、Aさんの価値は半減します。

つまり、マルチタスクとは、社会や世間が求める価値に過ぎません。

個の人間にとっての幸せの価値基準ではないのです。

また、皆がマルチタスクの技術を習得に成功すると、平均値が上がります。

そうなると、更にマルチタスクをこなせる人材が社会や世間から求められることになります。

一体、どこまでマルチタスクが求められるのでしょうか?

一方、この時、個人ひとりひとりの日常生活は、どのようになっているでしょう?

続きは、また次回。

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