先日、アート展示会に行ったのですが、結構、厳しい結果でした。
でも、その中で面白いこともありました。
今日はその話をしようと思います。
(ちなみにこれ私のアートのインスタ↓)

厳しい結果というのは、物販で、全然売れなかったということです。
知り合いは買ってくれましたが、知らない人で買ってくれたのは私が認識している範囲で二人(でも、すごい嬉しかった)
それはさておき、面白い話っていうのがですね。
売れなくても、話をしてくれる人はちらほらいるんですね。
で、私が仏様の絵を描いていたからなのか、話をした人の中に、私に本を勧めてくれる女性がいました。
どのような本かというと、これです。↓

「あげる」と言われ、一度は断ったのですが、置いていかれたので、読むことにしました。
パラパラと目次を読んでいると、目が止まったのが、このタイトル
「本当の自分とは何か探っていく」
実は、、、私、これ、昔から気になっている事なんです。
中学生の時、こんなことを考えていました。
オレは、父さんの精子と母さんの卵子が結びついて、この世に誕生したんだけど、
もし、父さんの精子が違う精子だったら、今のオレはどうなっていたんだろう?
(今のおれは、父さんの精子Aで生まれてきたけど、父さんの精子Bが母さんの卵子に飛び込んでいたら、違っていたのかな?)
もちろん、見た目は違っていたと思うし、脳みそだって、細胞の一部だから、考えることも違うと思う。
だけど、オレがオレだと認識しているこの感覚は、違う精子だったとしても同一なのかな?
言っている意味わかりますかね?(中学生の時、友達に言っても全然理解してもらえなかった)
「魂」と言った方がわかりやすいかも?(ちょっと魂とはニュアンス違うんだけど。)
要は、自分がここにいるっていう感覚が本当の自分じゃないかと思うんですよ。
見た目とか性格とか名前とか学歴とか趣味とか嗜好とかは後付けで。
そういうのを全部ひっぺがして、最後に残る部分が本当の自分。
例えば、怒っている時あると思うんですけど、「オレ怒ってるわ〜っ」て認識している別の自分もいたりするでしょ?
で、さらに言うなら、「怒っていることを認識しているという自分」を認識している自分もいるでしょ?
キリがないというか、どこまでいくんだ。お〜い!て感じ。
中学生の時、
オレって誰?オレって誰?ってずっと考えていて、すごい深いところまで行ったのだけど、途中で怖くなって逃げちゃったんですね。
でも、これ、今やろうとしても、なかなかできないんです。
あの時の深い深い感覚がまた味わいたいのだけど。
大人になるにつれて、薄汚れちゃったのですかね。。。
で、話を戻すと、そう言うのが昔から気になっている私なので、いただいた本をありがたく読みました。
最初に気になった目次(「本当の自分とは何か探っていく」)の部分から読み進めたのですが、結論から言うと、私が求める回答とは違う感じでした。(核心でなく、横をなぞる感じ)
だけど、この一節好きだな〜。と言うのがありました。
それがこれです。
人間は嘘をついてまでよく見せたいのです。
そうまでしてよく見せたいなら、エゴで自慢をするのではなく、虚飾でキレイに見せるのでなく、自分の能力を最大限に発揮させるような努力をしましょう。皆が喜ぶようなものを作り、自分も喜べるようなエネルギーの使い方をしましょう。
そういう生き方をしていくと、周囲も喜ばすことができるし、自分もより純粋になっていけます。とてもいいカルマになっていけるのです。
引用:ヤマ・二ヤマ 相川圭子
以前、私が書いた以下2つのブログの背中を押していただいた気持ちになり、なんだか嬉しくなったというお話でした。
それでは、また今度
コメント