成功と充足、どちらを求めるか?

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もし、神様から好きな人生を選んで良いて言われたら、あなたは以下のどちらを選びますか?

①地位や名誉もある成功した人生

②地位や名誉はないけど、充足した人生

※ここでいう成功とは、社会的地位や名声など他者からの評価を得ることとします。

※①も②も生きていく分には不自由しないお金がある事を前提とします。

で、これ、一般的なイメージだと、

①を選ぶ人は、承認欲求の塊

②を選ぶ人は、精神的に大人

というイメージじゃないでしょうか?

だけど、「成功」を求める事てそんなに悪いものじゃないと思うんです。

成功するということは、前提として、他人が喜んでくれているという状況が必要です。

(喜んでくれている人が自分を評価して、押し上げてくれるから)

そして、少なからず、他者の評価を維持する為の自己犠牲も強いられます。

で、話を最初に戻して、選択肢を別の言い方に変えてみます。(極端に)

①自己を犠牲にしながら、他人が喜ぶ人生

②他人なんかどうでもいい、自分さえ満足すればいい人生

こういう、言い方にすると、②が最悪な選択肢に見えませんか?

だから、、私、この2つの選択肢、選べないんです。(選択肢以外の回答ですみません)

私だったら、他人が喜びながら、自分も満足する人生を送りたい。

だから、わがままと言われるかもしれないけど、「成功」も「充足」も両方欲しい。

でも、この2つを求める事は決してわがままな事でもないと思うんです。

むしろ、どっちも求めないといけない。と思うのです。

他人の事ばかり気にしてたら自分が保たないし、自分の事ばかり満たしてたら、本当の意味での充足は味わえない。

だから自分も楽しいし、他人も喜ぶ。そういう領域を目指したい。

で、なんで急にこんな事を思ったか?

テレビかなんかで新社会人の街頭インタビューを見た時のこと。

その青年は、

「社会人て大変だと分かった。」

「会社では、我慢して働く。その代わり、プライベートは充実させていきたい。」

という事を言っていました。

つまり、

会社では他人を喜ばせて(成功を求めて)プライベートでは、自分を喜ばせたい(充足を求める)。

と、私は解釈。

ただ、私は、その青年に言いたい。

人生の時間は有限だよ。

仕事とプライベートを割り切る事は合理的に見えて、実は合理的じゃないんだよ。

(仕事とプライベートを分けて考えるから、GW後に五月病が発症するんじゃないだろうか)

自分も他人も両方を同時に喜ばせる。これができる事が最高だ。

自分の力を注ぐ領域選定はすごく大事だから。

新社会人の皆様、どうか、私と同じ誤ちを犯さないで欲しい。(↓仕事を変えようと思った時のブログ)

kota

同時進行(マルチタスク)が苦手。

あれもこれもと同時に事務処理をすると頭頂部が禿げる性質。

ひとつひとつ順番に処理するしかないので、公務員をやめて、自営(焼き芋の移動販売)することにした。

絵を描くのとサウナ後の水風呂が好き。

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