死ぬ時、どう思うか想像したことありますか?
「色々あったけど、いい人生だったなあー。」
と思えたら、いいですよね?
でも、これ、結果と目的を履き違えると、
人生を終える時に、「いい人生だったなあー」と思いたいから、後悔しないように色々しておく。
という発想になると思うのです。(これは、これでスゴいこんとなのですが)
でも、コレって、ただゴール(死)に向かって慌ただしくto Doをこなすだけの人生ではないでしょうか?
色々なものを犠牲にしながら。
それに人生の時間は有限だから、この世のものを全部やるとか絶対に無理。
それよりも、「自分の気持ちに素直になる」とか「誰かを喜ばせる」とかを目的としていた方が、結果的に死ぬ時に「まぁ、色々あったけど、良い人生だったなぁー」と思えるようになると思うんですよ。(僕の場合は、「1つ1つを丁寧に噛み締めながら生きる」)
マルチタスクもこれと一緒です。
マルチタスクができる。というのは、あくまで結果です。
後からついて来るものです。
マルチタスクができるようになりたい。と思うと、ストレスでしかないです。
好きなことに熱中した結果、気づけば、色々な事が難なくできるようになるものです。
自分では自覚はしません。
側からみたら、いつの間にかマルチタスクの人になっているのです。
伝えたい事はひとつ。
マルチタスクは目的とするものではありません。(マルチタスクとは、好きな事に熱中した結果の現象)
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