世の中、便利になるほど、ゴミクソみたいな仕事が増えてないか?

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最近よく思うのですが

世の中、スマホやパソコンが登場して、便利になればなるほど、クソどうでもいい仕事増えていないだろうか?って

慌ただしく仕事を次から次にやっつけたあと、ふと思う

やる意味あったのかなぁー?

かと言って、昔に戻れ。とか、

スマホやパソコンが不要。とかは思わない。

ただ、そういった世の中を便利にしてくれたモノを活用する際の心がけが間違っているのでは?

便利なモノがこの世に誕生した瞬間は、本当に助かる。

例えば、ウェブ会議。

これまで、移動も含めて1日かけて出席していた会議が、クリック一つで会議に出席できる。

移動にかかる時間と経費がなくなった分、生産的な仕事に投下できる。

ウェブ会議が登場した当初は、すごく有り難かった。

しかし、時間が経つにつれ、なんでもかんでもウェブ会議にする風潮が無意味な仕事を増やす

せっかく空いた時間が無意味な会議で埋まっていく。

大半の会議は、テキストで周知してくれたら十分なものだったりする。

こうなるのも、便利になると、人間、緊張感がなくなるんだと思う。

ウェブ会議の登場前だったら、主催側は、会議に足を運んでもらう以上、中身の薄い会議はできなかったはず。

だけど、今は簡単にウェブ上に人を招集できるもんだから、今、やる必要あるか?というレベルの会議が乱立する。

会議の内容は二の次で、会議をすること自体が目的になっている感も否めない。(手段と目的を履き違えている)

電子メールだってそう。

登場したての頃は、本当に便利だったと思う。

手紙を封筒に入れて、切手を貼るという手間がないうえ、瞬時に届く。

だけど、今、メールボックスを開くと、

うんざりする。

ゴミのようなメールが毎日、届く。

仕分け作業に忙殺される。

送る側も安易に送っているのだろう。

きっと電子メールがない時代だったら、誰彼構わず手紙を送ることはしなかったはずだし、手紙の内容も十分検討したはず。

便利は、人間の緊張感を削ぎ、仕事の質を落とす。

そして、多くの人たちは、質の落ちた仕事に付き合わされている。

自分にとっての便利は、相手にとっての便利ではないという事を常に心に留め、

便利なモノとは、緊張感をもって、付き合いたい。

そして、便利の副産物であるゴミクソに翻弄されないためにも、取捨選択の目は養いたい。

人間の処理能力は有限。

人生も有限。

無駄なことに付き合っている暇はないのであ〜る

kota

職業:芋売り

好きなこと:絵を見ること、描くこと、サウナ、相撲を観ること

苦手なこと:同時進行(マルチタスク)

目標:コツコツ作品を描いて2026年に個展をする

一日でできることは高が知れている。
一人でできることも高が知れている。

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